鈴
「すう、すう、すう……」
鈴
「……んん？」
不審な物音に、目を覚ますと――。
何故か、すぐ目の前に奏の顔がある。
奏
「鈴、お・は・よ」
鈴
「え……！？」
奏
「何だ？ ま～だ寝ぼけてんの？ 早く起きなよ～、朝だよ～？」
鈴
「き……」
奏
「き？」
鈴
「きゃあああああっ！」
驚いた私は、とっさに飛び起きようとして――。
それは草太が着ていたパーカーだった。
草太はパーカーを大きく広げて、私と彼の頭上を覆う。
草太
「……これを被っとけば、少しぐらいの雨、しのげるだろ」
鈴
「あ、うん」
でも、見ると草太は私を濡らさないようにと気遣い、
自分の肩を大きく濡らしているようだ。
鈴
「ねえ草太？ もう少し、私の方に寄ったら？」
草太
「な！？ 何言ってんだっ！？」
何故か草太は、私の言葉に慌てふためいている。
光介
「チュッ」
橙山くんはあろうことか、私の頬にキスをした。
その瞬間、ふわりといい香りが広がった。
鈴
（わ、この人……香水とかつけてる！？）
光介
「ふふっ、キミとても可愛いね～」
彼が何かを言う度、薔薇のような香りが濃くなっていく。
鈴
（うっとりするような、いい香り……）
光介
「このまま抱きしめちゃおうかな……」
後部座席に乗せられ、ヘルメットを渡される。
大河
「メットしっかりかぶっとけな。そんで、後ろからオレにつかまれ」
軽くジャージをつかんでいると、大河先輩は私の手を思いっきり引っ張った。
そして、強く腰を握らせる。
大河
「オレの背中と隙間があいたら危ねーんだよ。いいか、しっかりくっついて離れんなよ」
鈴
（ものすごく密着してるような気がする。ちょっぴり緊張するな……）
大河
「じゃ、しゅっぱーつ！」
大河先輩は、軽快にバイクを走らせた。
降りてきたのは男性だったが、どう見ても高校生には見えない。
鈴
（父兄の人……かな？）
男性は、すぐに後部座席のドアを開け、恭しく頭を下げた。
後部座席から降りてきたのは、背の高い男性だった。
こちらは先に降りた男性より若く見える。
鈴
（背が高くてまるでモデルみたい。ものすごく目立つ人だな）
奏
「へええ。また派手なのが降りてきたね～」
鈴
「ちょ、奏！ 声が大きいよ」
幸い、彼らに声は届かなかったようで、こちらを気にすることなく、まっすぐ校舎に向かっていく。
草太
「あれ、転校生か？」
大河
「いや、転校生なら生徒会にも報告があるはずだけど、何も聞いてねえぞ。な、コウスケ？」
光介
「ええ。特に報告はありませんでしたね」
背筋をピンと伸ばして堂々と歩く男性に、少し年上の男性が守るようにそばについている。
優一郎
「あ、会長さん……おはようございます」
大河
「ああ、おはよう――じゃなくって！ 何でお前着ぐるみなんか着てるんだ？」
確かにその人は普通の服ではなく、着ぐるみを着ている。
ゆっくりと着ぐるみの頭が外されると――。
鈴
（あ、見たことある人かも……確か１年生だよね）
大河
「あ、お前１年だな！ 何で着ぐるみなんかでガッコ来てんだよ」
優一郎
「え？ あ、すみません。朝バイトだったんで……。どこかで着替えようと思ったんですけど」
奏
「あれ？ お前、駅のコンビニで働いてるヤツじゃん」
優一郎
「はい、そうです。いつもお買い上げありがとうございます、音成先輩。１年の桃井優一郎です」
鈴
（桃井優一郎くんって言うんだ……。学校に堂々と着ぐるみで来ちゃうなんてすごいなあ……）
鈴
（注意されても、全然気にしてないみたいだし）
文月
「ただ、これだけは言えるわ。貴女が心の目で見たものを、しっかりと信じなさい」
鈴
「心の目で見たもの……？」
文月
「そう。一時のまやかしに囚われてはいけない。そして――」
文月
「何があっても、最後まで絶対に諦めないこと。そうすればきっと、絶望の先に希望が待っているわ」
鈴
（具体的なことはよくわからないけど、今もらった言葉を心に留めておこう）
文月先生は、手のひらでそっと私の頬を包み込んだ。
文月
「きっと大丈夫よ。希望を捨てずに、恐れずに、進んでいきなさい」
鈴
「……はい。ありがとうございます」
私はそこで、結城さんから聞いた会話を思い出し、文月先生に質問した。
奏
「そうだなー。コレを着てくれたら……機嫌直るかも？」
そう言って奏は手に持っていた紙袋から何やら取り出した。
鈴
「な、何これ！？」
奏がにこやかに笑いながら取り出したのはフリルをふんだんに使ったヒラヒラのエプロンだった。
奏
「鈴のために買ってきたんだよ？」
奏が自慢げにエプロンを見せてくる。
一見すると秋葉原の『メイド喫茶』で働くメイドさんのコスチュームにも見えるが……。
鈴
「な、何これ！ 一体どこでこんなデザインのエプロン買ってきたの……」
奏
「いや～。鈴なら絶対似合うって！ さあ！ お兄ちゃんに着て見せてよ！」
鈴
「い・や・で・す！」
奏
「ええっ！ 何で！？」
奏は大げさにショックを受けた振りをする。
でもここは譲る訳にはいかない。
鈴
「草太？ 朝だよ、起きて～」
声をかけてみたが、草太はピクリとも動かない。
草太の傍らにはチョコレートの包み紙が落ちている。
鈴
（草太ってば、またチョコ食べてたんだ……）
草太は甘党ではないけれど、ゲームをしながらよく板チョコを食べている。
味が好きというよりは、ゲームをしながら手を汚さずに簡単に食べられるところが気に入っているらしい。
私は、包み紙をゴミ箱に捨て、草太を揺り起こそうと近づいて、草太の前にかがみこむ。
鈴
「そう――」
耳元で名前を呼ぼうとした瞬間、草太はゲーム機を投げ捨て、私の頭を両手でガシッと掴んだ。
鈴
「そ、草太！？」
草太
「うるさいなあ、もう……止まれ！」
草太はそう言うと、私の頭をポンポンと何度も叩く。
鈴
（ひょっとして私のこと目覚まし時計と間違えてる！？）
いつもはクールな草太の意外な行動に、思わず笑いがこぼれてしまう。
その時、店員さんがアフタヌーンティーを持ってきてくれた。
３段に重なったお皿の上には、宝石のようなお菓子や軽食が上品に盛られている。
光介
「紅茶は僕のおすすめでディンブラにしたよ。渋みも少なくて飲みやすいと思う」
そう言って橙山くんは紅茶を私のカップにも注いでくれた。
光介
「熱いから気を付けてね？」
鈴
「ありがとう」
私がお礼を言う間にも、橙山くんはサンドウィッチやキッシュを取り分けてくれている。
鈴
（橙山くんってとっても気配りが上手だな……さっきも席に着く時にさっと椅子を引いてくれたし）
鈴
（これは学校の女子が騒ぐのもわかるな。同年代の男子で女性にここまで気遣いできる人、いないよ）
大河
「お、気が付いたか？」
鈴
「え……？ 大河先輩？」
大河
「具合はどうだ？」
私はようやく状況を理解した。
大河先輩はボールが当たった私を抱きかかえて、保健室まで運んでくれようとしているようだ。
鈴
「え、えっとっ、大丈夫です……！ ……自分で歩けます」
私は恥ずかしくて、大河先輩の腕から逃げ出そうと体をよじった。
大河
「いいからじっとしとけ！」
鈴
（ど、どうしよう、すごく恥ずかしい……）
ジロジロと見ていたことを謝ろうとした瞬間、いきなり顎を掴まれた。
鈴
「――！」
無理やりに上を向かされ、驚いて抵抗したが、彼の腕はピクリとも動かない。
奏
「おい！ いきなり何してんだよ！」
草太
「鈴！ お前、鈴から手を離せよ！」
奏と草太がこちらに駆け寄って来ようとしたが、付き人らしき男性に阻まれてしまう。
蘇
「おい、……お前、いくらだ？」
鈴
「え……？」
驚いて思わず聞き返してしまう。
この人、今――なんて言ったんだろう
留学生は私の反応など意にも介さずに続けた。
蘇
「お前が気に入った。俺の女になれ」
彼の言葉の意味を理解すると、カァっと一気に頭に血がのぼっていくのを感じた。
優一郎
「いたた……先輩、大丈夫ですか？」
鈴
「ご、ごめんね！ 余計に大変なことになっちゃって……」
優一郎
「おれはいいんですけど、先輩まで濡れちゃいました。どこも打ってないですか？」
鈴
「うん、私は濡れたくらいで……」
鈴
（あ……そっか。優一郎くんが私が膝とか打たないように支えてくれたんだ）
腰に回された手に気付き、慌てて優一郎くんの上から降りる。
鈴
「下敷きにまでしちゃってごめんね。お尻とか痛くない？」
優一郎
「痛くないって言ったら嘘になりますけど、多分ツボが刺激されて健康になってます」
鈴
「あはは、強く押しすぎだよ」
優一郎
「そうですか？」
優一郎くんは少し笑いながら足湯から腰を上げた。その途端、ボタボタと水が垂れていく。
蘇先輩が歩いて帰ると言ったことで、付き人は別行動だと思っていたけれど、
ウァンユエと呼ばれている人だけは、私達と一定の距離を保ちながらついてきていた。
鈴
（やっぱり蘇先輩のことが心配なのかな？）
蘇
「望月が気になるか？」
いつの間にか隣にいた蘇先輩が、にやりと笑う。
鈴
「あの人は蘇先輩の……？」
蘇
「付き人兼ボディーガード兼秘書だな。今もああやって俺を護衛している」
蘇
「アイツの反射神経は並ではないからな。何かあれば瞬時にすっ飛んでくるぞ」
奏
「それってさ、いつでもどこでもついてくるってこと？窮屈じゃないの？」
蘇
「窮屈？ そんなことはあまり考えたことがないな。幼い頃からいるから、いない方が不自然だ」
奏
「えー、やっぱり窮屈だって。俺だったら耐えられないなあ。鈴はどう？」
奏
「ほら、こっちだ、鈴」
奏はそう言って、そのままの体勢で私を壁際へと誘導する。
奏
「よし、ここなら大丈夫だろ。鈴は俺の腕の中に入ってな」
奏の言った通り、演奏が始まるとあちこちでぶつかり合いが始まる。
時折、奏の背中や腕に人がぶつかってくるが、奏は大して気にした様子もなかった。
鈴
（奏のおかげで私は誰ともぶつからなくて済んでるけど……奏、平気なのかな？）
鈴
「奏、大丈夫なの？ 痛くない？」
奏
「大丈夫。これがライブの醍醐味でもあるしね～。でも、鈴は怪我したら大変だからここにいて」
鈴
「でも、私だって自分の身ぐらい自分で守れるよ」
奏
「いいじゃん。俺が守りたいの。なんならこのままずーっとこうして腕の中に閉じ込めたいぐらい……」
鈴
「え……？」
